今シーズン6度目の台風はどうやら見込みがありそうだ。サイクロンと台風は自然界の陰と陽。人
間が得られるものはつかの間の喜びかもしくは敗北。でもそれは考え方しだいでどのようにも変化
する。
チームとして申し分のない二人と私はチームを組んだ。無邪気で聡明な個性の二人。その一人はト
ム・カレン、彼の紹介がもしここで必要だとしたら、あなたはこれ以上この文章を読み進める必要
はない。50代でありながらいまだに世界中のほとんどのサーファーよりもサーフィンが上手いト
ム。彼の相棒はメイソン・ホーだ。パイプラインでのハードなチャージや突き出た岩をオーリーで
飛び越したり、彼のクレイジーなウェブクリップは多くのファンを集めている。メイソンのパフォー
マンスで最高なのは試合後のインタビューだ。その純真な性格から放たれるコメントは清々しさが
あり、オリジナリティーはプライスレス。「僕はヒートでは一度に一回しか戦わないんだよ」なん
てさらりとコメントしてアナウンスのロージー・ホッジを混乱させてしまう。メイソンがどんな調
子かこれで分かるだろう?
さて、この島国の文化は誇れるほど古い。この国の言葉と英語の違いは例えれば砂漠と海。
まるでアラビア文字のような異質な印象を受ける。この国の家並には前庭があり、そこには超現実
的に捻じ曲げられ、調整された木々がある。それは巨大なボンサイ(盆栽)という印象だ。空港から
南に進み、トムと合流する間にそんな景色を車窓から見た。
トムはすでにこの島国に到着している。我々を迎えに来てくれたカイはガイドとして言葉の壁や文
化の違いを補佐してくれる。もちろん良い波を得るお手伝いもしてくれる。トムが滞在していると
ころまでは1時間ほどの運転で着くようだ。初めて見る海岸線に僕の心は癒された。思い描いてい
た景色に初めて触れるという感動は何物にも代えがたいと思う。その感動はいままでの旅行で得た
喜びの一つだ。すでにスウェルはヒットしていた。岬とリーフブレイクがちらりと見えて私はベス
トアングルを思わず計算したけれど、長く続くトンネルや深い森に阻まれてその様子を詳しく見る
ことができなかった。
海岸線には入江や湾がありスウェルのサイズを知るのは難しかった。だがこのような地形は風避け
の役割も果たしてくれる。オンショアの風が続くときでもスゥエルの向きと風を読めば良いスポッ
トを見つけ出すことが可能だ。海は奇妙な模様が入った溶岩が続き人工物のようにも見えた。
やがて我々はグリーンマントのヘッドランドくらいの大きさの島のある砂浜に到着した。その島の
先からはサンドバーが続き、長く早いライトの波を作り出していた。今はオンショアだったがポテ
ンシャルの高さは理解できた。波は物足りなく3フィートほど、でも島の西側はオフショアで6
フィートほどの波があった。この波のブレイクしていく間には車ほどの大きさの岩がありボイルが
渦巻いていた。メイソンならあの岩をオーリーで飛び越えてくれそうだけれど、しかし彼の到着は
今夜だ。
トムと合流したのはその海岸だった。「オーグダイ、スパークシ!ハウアーユーメート?イェー、
ナー、イェップ、イェップスィート、ケンオースコバー!」トムはオーストラリアアクセントで英
語を話すことができて、コックニー訛りを上手に使い分けている。長年オーストラリア人といろい
ろな交流があったからだろう。彼はすでにこの島にしばらく滞在していてローカルバンド達とフェ
スティバルで演奏などを行っている。サーフィンの調整も十分に整っているようだ。
知っている人も多いと思うけれど彼は最近スキムボードでサーフィンをしていて、そのことに私は
興味を持っていた。それは幅のあるトーインボードのようで、浮力が十分あるようには見えなかっ
た。浮力を補うために彼はフォームをデッキに糊で接着していた。全体の外見は寄せ集めた竹のよ
うであり適当に作ったようにも見えた。よくいえば雰囲気はあのジョージ・グリノー風でもある。
スクラップで粗野、クラシック、美学を超えた機能美。トムというクリエイターはやはり天才の域
に達していたというべきか。
「このボードは早いよ」とトムは嬉しそうに言った。「事実、かつて人類が知りもしなかった速度
に達するんだ」私はなんとか評価できそうな点がないか探したが、見つけられなかった。「これは
僕が作った」と彼が言って手に取った物は、最初のよりもさらに幼稚な感じだった。まるでフォー
ムとコルクと竹の寄せ集めの悪夢。
「ロッカーはほとんど必要ないんだ。これはすごく薄くてボード自体がしなるからね。つまり必要
なときに必要なだけロッカーが生まれるんだ。そのフレックで波のパワーも感じられる。このカー
ブもそれに影響する。フレックスはワイドな中心に進むに連れて少なくなり狭いところで強くなる。
このカーブをどうやって作ったかわかるかい?僕はスケートランプのカーブを参考にした。フラッ
トなボトムからランプのトップに向かうカーブを利用したんだよ」
私は何か気の利いた質問か、それとも意地の悪いコメントでもしようかと考えたが無駄だった。突
然トムが先ほどのライトハンドのリーフに気をとらわれ、幸運にも話は中断した。彼はどうやら波
が気に入ったようだ。彼は沖に向かったが、でも私はためらっていた。「サーフしたいかい?でも
ちょっと警戒した方が良いんだよ。島が背景になるから見た目は良いけどね」それが問題ではない
のだけれど。トムは彼のスタイルでビートを刻み始めた。彼はあの「ボード」で準備万端。波は私
が考えていたよりも恐ろしかった。でも彼は何本か波に乗って生還した。
メイソンとパートナーのローリー・プリングルがその夜到着して丘の上にある我々と合流した。こ
のゲストハウスからは大きな湾が見渡せる。リーフや係留中の船。その先には無限に広がるコバル
トブルーの太平洋。今夜はバーベキューでトムの友達やその仲間が集まった。人々の礼儀正しい対
応に私は驚嘆した。彼らの暖かさはフィジアンに匹敵するし、トムに対する彼らの態度には畏敬の
念が表れていた。トムは絶頂期からすでに30年余りが過ぎているが、今でも多くのサーファーが彼
と一緒に写真を撮りたがる。スターとしての尊厳を保ちながら、トムは誰とでも会話を楽しみ静か
にビックウェーブの到来を待ち続けていた。
遅れてきたメイソンもそこはサーファー同士すぐにみんなと打ち解けた。コアなサーファーはメイ
ソンがすでに世界的に活躍していることを十分に知っていた。メイソンはサービス精神旺盛でエフ
カイでのルアウ(宴会)以上に楽しさを表していた。ハワイのレジェンド、マイケル・ホーを父に持っ
たメイソンはまさにサーフヒストリーのなかで育った。父親の昔話に彼はいつもわくわくしていた
という。
「父親の昔話が大好きなんだ。同じ話をなんどもなんども聞いても飽きたことはないよ。注意深く
話を聞いて、次のときにきは間違いを正してやろうと思うんだ。それ違うよってね。でも必ず同じ
話なんだよ。すごいだろう。つまり本当の話だってことさ。僕はMP(マイケル・ピーターソン)が大
好きなんだ。だからMPの話を親父によくせがむのさ。彼は親父より少し年齢が上だった。だから
彼にとって親父はグロム(子供)扱いだったみたい」僕が特に好きな話は二人がベルズへ車で向かっ
たときの話。ゴールドコーストからずっとMPは全開ですっ飛ばしていたらしい。大型トラックを
抜き去ろうとしたときトラックから石が飛んできてフロントガラスに当たったんだ。その瞬間MP
はフロントガラスを手で押さえて「見たか、俺は俺たちの命を救ったぜ」と叫んだ。でも親父は「そ
れなら猛スピードで走らないほうが俺たちの命を救える」と思った。でも親父はグロムだから黙っ
ていた。とにかくMPは割れたフロントガラスを足で蹴っ飛ばして取り去ると、操縦士用のサング
ラスを掛け、そのまま走り続けたんだとさ。クラッシックだろ」
私たちがこの島国にやってきて、やっとサーフハンティングモードに落ち着いた。この旅での食事
は生まれて初めての経験ばかりで信じられないものばかりだった。コンビニも驚きだった。陳列棚
にある調理済の食べ物がすべて美味しいのだ。オーストラリアやアメリカのコンビニにある粗末な
食べ物とは全く違う。レストランのレベルも高く、食事はいつも美味しすぎてつい食べ過ぎてしまっ
た。
島のローカルは酒を飲んで笑うのが大好きだ。彼らのお気に入りは芋から作られる焼酎という蒸留
酒だ。トムと長いつきあいのあるクニは焼酎が大好きだ。彼は東北の震災から逃れてここにやって
きた。「もう過去は振り返りません」 とクニは言った。彼は振り返らずにまえに進み続け、この
南の島にたどり着いたという。この岬の丘からは湾に点在するリーフブレイクが見渡せる。丘の上
では野生の馬が草を食んでいる。
メイソンはエネルギーの塊だ。サーフィンの間にはスケートで坂を滑りまくる。とにかく常に彼は
行動している。ジョークを愛し、1分間おきには笑い転げている。
波をチェックに行ったとき「夢を見た」とメイソンが言った。「サンセットポイントにV-ランドが
あるんだ。だから僕は夢を見てるんだなってすぐに気づいた。今なら欲しいものはなんでも手に入
るぜ!これはドリームショップだ。最高!女の子にサーフボードに、車に!よりどりみどり!欲し
いものは全部ものにして、それでサンセットのV-ランドでサーフした!ハハハ!」
そこで私はどんな女の子だったのか聞いてみた。
「彼女はエジプト人で美しかったよ」
メイソンは常にトムに対して敬意を払っていた。その態度はトムの持つサーファーとしての技術に
対してだけではなかった。メイソンの評価の理由はトム・カレンが登場する以前と以後では世界の
サーフィンが著しく変化したことだ。彼のトムに対する高い評価は成層圏に達している。
ある朝、私がメイソンにどこでサーフィンしたいかと質問したところ「トムがサーフするところな
らどこでも」と即答した。よく晴れた午後私たちは大きなビーチブレイクをチェックした、ソリッ
ドな6-8フィートが北のコーナーでブレイクしていた。波は厚くトリッキーだ。パドルアウトだけ
でも十分にハードで、ましてや波を捕らえるのは困難に見えた。トムは波に抗うことなく順応して
いき、リフォームしてインサイドで再びブレイクする波をついに捕らえた。
彼のスキムボードは早すぎるほど加速し、なんとか減速するとバレルに入った。彼のスキムのサー
フィンはそのボード自体の性能よりも、彼の信じられないほどの高い技術のほうが優っているよう
に感じられた。彼の海のなかでの精神状態は誰にもうかがいしれない。いやケリー・スレーターな
らば理解できるだろう。彼がスキムで披露した驚嘆すべきパフォーマンスは、スキムだからと言う
よりもスキムにもかかわらず、と言った方が正しいだろう。
トリップが終わりかけたころ、我々はあるローカルな食堂に向かった。そこは質素な佇まいでメ
ニューも簡素だった。客は地元の人ばかりでどうやら外人は珍しいようだ。トムの普段の姿は、一
般的に思われている彼とはかなりの違いがある。寡黙で控えめな人物かと一般的には思われている
が、気心の知れた友人や知人といるときの彼は全く異なる。彼はその夜に弾けた。面白いジョーク
を連発し底抜けでセンスの良い一人芝居を演じて周囲を大笑いさせた。彼は昔マイケル・ホーがサ
ンセットのインサイドのチューブに入った話をして、メイソンはそれを貪り食うように聞き入った。
最高の夜だった。
その店の料理は鶏肉だった。炭焼き、煮込み、スープ、刺身。そしてメインディシュが供されると
我々はちょっとたじろいでお互いの顔を見合わせ、どうして良いか分からなかった。味は鶏肉のよ
うだ。少なくとも鳥の仲間。ローカルの人々は我々を見て笑った。それを食べられるかどうか、食
べれば仲間として受け入れられる。
この旅で出会った人々から私は生きるための価値を知ったような気がした。世界の一部の人間は富
を得ようと狂ったようにあくせく働いている。だが実際、彼らはますます貧しくなっているのでは
ないかと思う。彼らは人生の本当に貴重なものはなにか忘れているのだと思う。彼らは楽しい時を
過ごしていると思っていても、それはおそらく違うだろう。スーパーファンドや高級車に費やした
時間のように波を買うことはできないのだから。
将来なにが起きるか誰にも分からない。だからサーファーは思いっきりサーフィンをして、愛を語
り、人生を全うしよう。仕事ばかりに没頭しないで、サーフトリップに出かけて、かわい子ちゃん
を探して、パーティーに飛び込んで、自由を満喫しようじゃないか。
でかけよう、サーチしよう!
楽しんじゃった者の勝ちなんだから!
翻訳 李リョウ